沖縄慰霊祭 杉良太郎 中日新聞紙つぶて


今日の中日新聞は両開きで「沖縄、福島の苦難 戦後66年」と言う特集を組んでいた。福島の代表として開沼博さん(27)、沖縄の代表として大城立裕さん(85)。「中央の繁栄の代償 日本のあり方問う」と大きな見出しの対談。下には関連年表。ちょっと写真を撮るには大きすぎる。
丁度、杉さんの紙つぶての裏側にあたる。杉さんのエッセイを読んでいて、都会のしわ寄せが沖縄と福島に行っているのよね、と思ってこの次の特集だから、朝食後と昼食の間の時間を新聞に費やした感じの今日であった。
昨日のジャパンタイムスに「退役軍人の話によると、枯れ葉剤は沖縄に埋められた」との記事があった。北谷村は夫が当時住んでいた場所。「近くに住んでいても影響があったと思う?」と聞くと、「ドラム缶が腐食すれば、すべて海に流れ込む、ってことだから。」と。
杉さんは兵庫県知事の名代として琉球政府の屋良主席と対面する。当時の私は中学生、沖縄に行くのにパスポートがいることに驚いても、琉球王国のことも教科書では習わず、大学入試の勉強で「琉球処分」を知る無知。広島の悲惨さを教科書から排除し、アイヌ琉球も避けて通る「単一民族日本」で勉強してきた世代なのだ。自分は安全なとところにいて、都合のいいときに「世界で唯一の被爆国」の被害者意識をもつことは、沖縄を捨て石にした結果が摩文仁の丘なのに、あの南国の光の中(私の訪問は大学卒業後)で沖縄戦に思いをはせたあとには許せ無くなった。
私は小学校、中学校のころ広島長崎を訪れ被爆の恐ろしさを垣間見たが、その後日中戦争から太平洋戦争へと戦争のことを知れば知るほど、広島長崎を過大評価することに抵抗をもつようになった。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110813a1.html