普通に考えたら誰もやらないはずなのに

原子力発電で使った燃料などの処理や、廃炉のコストを考えたら誰もやらないはずなのに国策として推し進められてきたのはなぜか。原子力についての教育に色眼鏡がかけられていたのはなぜか。日本のような地震国では安全な用地さえないところに姑息な策を使って建てられてきたのはなぜか。こうした諸々の疑問、普通に考えたら、NOのはず。普通に考えないようにさせられてきたのは私達が馬鹿だからか。自分の頭で考えないようになっていた。
考えないようになっていたのは、やはり、教育のせいだろう。
原子力の平和利用がはじまったのは、言われているように、第五福竜丸被爆をきっかけにした反原子力反米感情を抑えるためのアメ。私が子どものころは、教科書にキノコ雲が載ったり、原爆の悲惨さを示す、記述や写真をめぐって原爆のことを教える先生は悪者のように言われていた。広島や長崎には小学生のときに行った。中学では広島にクラブの旅行で、長崎は修学旅行に行った。当然あんな危険な原子力を発電に使うのは大丈夫かなと少し不安だった。でも、理科の授業で、放射線のこと等を勉強したし、安全に気を付ければ大丈夫かも、と思った。高校、大学と成長するにつれて、本音はプルトニウムの確保じゃないかと疑っていた。その疑いは晴れていない。この期に及んで、先週の都知事の発言。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20110601/zsp1106011056002-n1.htm
(13)ZDFフィルム「大いなるこけおどしー原発政策の間違った約束」10 - ドイツから学ぼう