169号線の話

この道は古代には神武東征の道だったのではないかといわれている。嵐のために難波から上陸できず紀伊半島をぐるっと回って現在の新宮市に上陸し現在の169号線上を北上し橿原の宮で即位した、といわれている。私が勤務する村にも神武がその途中で休憩をしたという場所に碑が建てられている。これは紀元2600年記念で適当に作ったものらしい。
現在もこの道は紀伊半島の大動脈である。新宮市は公共交通機関を使って東京に行くのに一番時間がかかる市だそうである。現在でこそ熊野古道沿いの国道が整備されたのでそちらを通って田辺市に出て高速を通って大阪に出るようになったが、わざわざ42号線を東に進み熊野市に入って169号線を北上して大阪に出ていた。熊野市の人は今でも169号線を使って大阪に出る。道路公団関係で一切の高速道路の建設が凍結された時も、視察に来た役人が今時こんなところがまだあるのだ、といって熊野市と勢和多気(名古屋から伊勢まで伸びている高速道路の途中)を結ぶ高規格道路の予算は別枠でついた。2013年の伊勢の式年遷宮をめどに工事が進んでいる。