いつも読んでいるブログから

ドイツから学ぼう(26)検証シリーズ2 ドイツのように悪魔の高速増殖炉を天使のワンダーランドにすることは可能か?
これを少しでも広げたいので、ここに書くことにします。
IB Timesでは
2011年9月3日 06時54分 更新
野田新首相、原発を徐々に廃止、「脱原発依存」へ
野田新首相は正式就任後初の記者会見で、原子力発電所を徐々に廃止していく方針を掲げた。
 野田首相原発を「新たに作るということは、現実的に困難だと思う」と述べ、各原子炉の寿命が来たら「廃炉にしていきたい」と語った。
 一方、当面のエネルギー需給問題を解決するため、原発への依存度をすぐにゼロにすることは不可能だと述べ、ストレステストなどを経て安全性を確認した原発については、地元の理解を得た上で、再稼動することも必要だとした。
とありますが、読売新聞では

長期的に「脱原発依存」社会目指す…野田首相
として一番最後のところで触れています。本音のところは↓です。

やめて欲しくない人たちがいっぱいいるのです。問題はこの議論の中に「もんじゅ」のことが一般の私達に目につくようにでてこないと言うことです。
今回の地震津波後の原発事故に直面していてもこの程度の反応です。
一度始めた○○は全滅するまでやめない、と言って、人の命を無駄にしてきた過去の人々とどこが違うのでしょう。歴史から学ぶと言うほどたいそうなことでは無いでしょう。
40年以上前、中学生の時に8月6日大阪駅前にアンケートに行ったあの頃でさえ、普通の人にとって広島・長崎は過去のこと、と言う印象でした。恥ずかしくてちゃんと質問できなかった私達にも問題があるけれども。
広島・長崎は避けようと思えば避けることができた。それをしなかった私達の上の世代とどう違うのか。united nationsを連合国/国連と訳し分けるようにnuclearも都合よく訳し分けられている。
今の子どもたちは核も原子力もわかっていない。だいたい平和教育の教材によく使われるのが、子どもが原爆や戦争で亡くなる→かわいそう→戦争はよくない。英語の教科書に使われているA Mother's Lullabyもその一つ。感情に訴えることはできるけれども、それは自分たちが渦中に無いからで、でも、今は平和だからよかったね、で終わってしまう。自分たちが、将来の子孫にそう思われてしまうようにならないためには、なぜそうなるのかを理解して、そうなってしまう流れをどうやったら止められるのかを考えて行動できるようにならなければいけないことをわからせるのは難しい。
休憩
色々書いて本題のつもりだった高速増殖炉について書いていなかった。同じ敗戦国だったドイツから色々学ぶことが多い。戦前恩賜の軍刀をもらう人たちは大抵ドイツで更にお勉強したらしいが、例外的にアメリカに行った少数派は、そういった流れに棹をさしていることが多い。自分がドイツから学ぶ姿勢が薄かったのはその辺の影響もある。あと一つは大学でドイツ語を勉強した勉強の仕方である。つまり、昔風の文法訳読。確かに文法を勉強して、英語の基礎知識と辞書と時間があれば何とか意味がわかる。学生時代、理学部の原書講読の翻訳のバイトを一件だけ引き受けた。数学の教科書の一部みたいで、数式がたくさん並んでいるので、別に訳さなくてもわかるだろう、と思ったが、なにがしかのお金になったので、訳した。ドイツを旅したときも片言で「駅はどこですか」と聞いても英語で返事が返ってくるし、おフランスとは大違いだった。今になってもっとつかえるドイツ語を勉強すべきだったと思う。
原発に関しても、津波の情報はアルジャジーラの方が早かったし、水素爆発もNHKが黙って何もしない間に、ちゃんとBBCとかでわかっていた。英語がわかればかなりの情報が増える。でもやはり本当に知ろうと思えば原語が大切なのだ。↓
ドイツから学ぼうから原発政策の変遷について色々と勉強させてもらっている。
もう一つ